アクテムラのP3試験で主要評価項目達成 アクテムラ誕生秘話

こんにちは今日の調子はいかがですか。
今日は 「アクテムラ」のP3試験で主要評価項目達成 巨細胞性動脈炎の適応拡大で の記事と、アクテムラ誕生秘話 についてお話ししたいと思います。


スイス・ロシュは「アクテムラ」の巨細胞性動脈炎への適応拡大を目的に欧米で行ったグローバル臨床第3相試験で好成績を得た。6カ月間のステロイド漸減投与を含む1年間のアクテムラ投与と、ステロイドを漸減投与する単独療法との比較で、1年経過時のステロイド離脱下での寛解達成率がアクテムラ投与群で有意に高く、主要評価項目を達成した。
13日の米国リウマチ学会で発表され、中外製薬が14日に邦訳リリースを発表した。
今回報告されたのは、米国やカナダ、英国、フランスなど欧米14カ国で行われたGiACTA試験の結果。アクテムラ投与群(6カ月間はステロイドを漸減投与する形で併用)とステロイド単独投与群について、1年後の持続的寛解率を主要評価項目とした結果では、アクテムラ投与群は毎週投与群で56.0%、2週1回投与群で53.1%と、6カ月間のステロイド単独投与群(14.0%)に比べて有意に高率だった。副次評価項目として設定した12カ月間のステロイド単独投与群(17.6%)に対しても、アクテムラ投与群は持続的寛解の達成率が有意に高かった。

2016年11月14日 日刊薬業 から


今や、抗がん剤や抗リウマチ薬を中心に抗体医薬品が数多く発売されていますが、国産の抗体医薬品は決して多くはありません。「アクテムラ」は国内発・国内初の抗体医薬品であり、これは快挙と言っていい出来事です。「アクテムラ」の誕生までには一般には知られていないドラマがありました。そこで今回はこの「アクテムラ誕生秘話」についてお話してみたいと思います。

【アクテムラ(一般名:トシリズマブ)誕生秘話】
アクテムラは大阪大学の岸本忠三先生が発見した「インターロイキン6(IL-6)受容体」を標的にした国内初の国産抗体医薬品です。2005年リンパ増殖性疾患であるキャッスルマン病の適応症で承認・発売され、2008年に関節リウマチの適応が追加になりました。今では、「レミケード」「エンブレル」「ヒュミラ」などと並ぶ抗リウマチ薬のバイオ製剤としてのポジションをキープしており、他の多くのバイオ製剤がTNFαを標的にしているのに対し、唯一IL-6を標的にした製剤としても有名です。

IL-6、これはTNFαと共に関節リウマチの原因となっている炎症性サイトカインです。1986年に大阪大学の岸本忠三先生が発見したのですが、それに目をつけた中外製薬が岸本先生を訪ね、IL-6の受容体に対する抗体医薬品の共同開発を持ちかけたことが事の始まりです。岸本先生と接触した中外製薬の研究者は、当時探索研究所所長の貞広隆造氏、そしてSLEなどの自己免疫疾患の研究に携わり、米国で武者修行を果たして帰国してきた大杉義征氏の二人です。
特に大杉氏は岸本先生とは幼馴染みで、子供の頃仲良く遊んだ思い出があり、岸本先生のお母様の実家の隣が大杉家だったそうです。幼馴染みとの再会を縁として岸本研究室は彼らとスムーズに連携していくことになったのです。

しかし、彼らの胸中には依然としてある不安がありました。それは、「果たして抗体が医薬品として採算が取れるか」という懸念でした。
抗体が関節リウマチなどの治療に効果があるからといって、うかつに事業化には踏み切れません。新薬の生産には多額の設備投資が伴うからです。新薬を発売したはいいが、売上が少額にとどまり、設備投資の費用を回収出来ず赤字になるという事態は避けなければなりません。特にこの抗IL-6受容体抗体は受容体と結合する力が弱く、効果を出すためにはミリグラム単位の高用量を投与する必要がありました。これは中外製薬がすでに販売していたエリスロポエチン製剤の投与量がマイクログラム単位なのに対し、その約千倍という高用量になります。抗体を商業ベースで生産するには、前例のないほど大きな製造用タンクを工場に新たに作る必要があり、巨額に上る設備投資の重荷に耐えられるのか、中外製薬の社内でも懐疑論が渦巻いていたといいます。当時、世界でも抗体医薬の製品化に成功した例はまだ数えるほどしかありませんでしたし、国内の同業他社が全く抗体に興味を示していないこともまた不安要素でした。

しかし、海外でTNF-αを標的にした抗体医薬の臨床試験での著効例が続出したことで潮目が変わりました。社内の懐疑論は急速に鎮静化していき、ついに中外製薬の社長、永山治氏が抗体開発の決断をするに至ります。阪大の協力を得て臨床試験を開始するとともに、生産用の大型設備の建設へと動き出しました。

こうした動きをじっと注視していたのがスイスの製薬大手「ロシュ」、主力の医薬品が特許切れになりつつあった同社にとって、関節リウマチ治療用の抗体を開発し、大型タンクまで作った中外製薬は魅力的で成長力のある企業と映ったのでしょう。中外製薬と戦略的提携を結び、同社をロシュグループの傘下に収め、今日に至ります。ロシュの支援を受けながら開発は進み、ついに2005年国産初の抗体医薬品「アクテムラ」が誕生したというわけなのです。

今、国内ではもちろん中外製薬の社員が「アクテムラ」のプロモーションに従事しているわけですが、同時に欧州ではロシュの社員が、米国では同じロシュグループのジェネンテックの社員が、日本発の抗体医薬「アクテムラ」のプロモーションをしています。もちろんライバルは「レミケード」であり、「エンブレル」であり、「ヒュミラ」といった巨大外資系製薬企業ばかりなのです。

当時、中外製薬を除くと岸本研究室の門を叩いた製薬企業はなかったといいます。その理由は、中外製薬が抱いたと同様の不安、「抗体医薬は生産コストが膨れ上がって商業ベースに乗らないのではないか」という懸念にあったようです。武田薬品もアステラス製薬も今でこそ抗体医薬品の開発に乗り出していますが、やはり出遅れ感は否めません。それを考えると他社が動かなかった当時、トップの判断で抗体医薬開発への舵切りを決断した中外製薬の先見性と決断力は称賛されてしかるべき英断だと思います。武田薬品の幹部からも、今になって「うちが先頭に立って抗体医薬品を開発すべきだった。」という声も聞こえてきますし、医薬品開発の成否は、遠い過去の判断に左右されるということを示す好例と言えるのではないでしょうか。


お役にたちましたでしょうか。
また、明日のトピックスを楽しみにしていてください。


作成 藤川

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