コラム

私がMRになったのは1973年、新入社員として岐阜出張所に配属されました。担当地区は東濃地区の開業医担当、担当地区は40%前後の開拓率。裏を返せば宝の山がザクザクと転がっていると先輩から引き継ぎました。
その時はMRでなく、プロパーと名称が変わったばかり、その数年前までは営業マンでした。

営業マンからプロパーに名称が変わっても仕事内容はほとんど変わらず、前年に添付行為(製品購入に対してサンプルを添付する)がなくなったくらいで、接待、労務提供、手土産OKでまさに売上げを上げることがプロパーのミッションでした。前任の先輩が残してくれた未開拓の宝の山を新規開拓するため、飛び込み訪問でも会ってくれる先生が多かったことを思い出します。

出張所の最年長者は定年間際の大正生まれの方で、その方はまさに営業マンそのもの。得意先に訪問しても薬の話は一切せず、先生と世間話から将棋、囲碁の相手で薬をPR(当時はディテールでなくそのように呼んでおりました)することもなく売り込む超ベテラン。その方曰く、入社時から20年近くはオートバイで田舎の開業医を回り、その後は自動車でもパブリカ800の空冷エンジンでヒーターもなしで、震えながら雪道を走ったとのこと。・・・・当時は人間関係の強さ(HR・ヒュマンリレーション と当時は言っておりました) が薬を使わせる秘訣でした。

担当の東濃地区は岐阜市から車で1時間、一番遠い担当地区までは2時間、毎日日帰り出張の日々。勿論営業車にはクーラーは無し、夏は窓全開でも汗だくの日焼けで真っ黒け、こんな過酷な労働環境は今では想像できないと思います。只々、オートバイでなく良かったと。・・・・

車好きのK先生、毎月麻雀大会を開催するT先生、手品で子供をあやすT先生、大口のN先生、O先生、毎年の忘年会が楽しみのT病院。いつも美味しいコーヒーをご馳走してくれるK先生。
社会人としての第一歩はこの時の先生方とのお付き合いから、磨かれ成長し、今日があると今年還暦を迎えるあたり、これらの先生のことを思い出します。
今のMRでは味わえない本当に良い時代でした。
勿論売上げは新人でありながら、事業所一番の成績だったこと付け加えます。

作成 杉本

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