コラム

私がMRになったのは今から26年前の平成元年でした。当時はバブル景気の最中で同期入社のMRは130名を超える人数だったと思います。初任地のことでまず忘れられないことは配属地発表の瞬間です。

先程も書きました通り130名以上の人数が集まっていますので、氏名を呼ばれるごとに悲喜交々の状況がそこにはありました。喜ぶもの、一緒の配属地の仲間と盛り上がっているもの、ガックリ肩を落としているもの等々です。

私はと言うと、何と呼ばれたのは最後の最後、130名以上が騒いでいますので全く発表の声が聞こえませんでした。そこで会がお開きになった後、人事部に直接聞きに行ったことを憶えています。

『東京第一支店 病専課』

ホッとしたと共に、その後が大変でした。

思い通りに配属されなかった同期。それも同郷で、研修中も仲の良かった2名(共に、北海道への配属)がその夜、悪酔いして、絡まれて、泣かれて、慰めるのが大変でした。
※今では2名とも部下持ちの立派な管理職。そして北海道が良過ぎて帰って来たくなかったようです。 

そんな私が配属された『東京第一支店 病専課』は、大学病院や基幹病院、400床以上ある病院を担当する支店であり、課でもありました。
そして、私の担当地区は銀座や築地、それに御茶ノ水までもが担当。ご存じの通り、大学病院や大病院が多くある激戦区です。
その中で、私の担当施設の売上と言ったら、大病院なのに毎月の売上ゼロ。たまに5万円/月という感じでした。
なんと、26年前の当時から訪問規制(面会時間や場所が規定)されている欧米型の医療施設で、先輩たちも嫌う施設だったのです
※Dr.とも話せない。会えない。誰にアポイントを取るのかも分からない。院内採用も、門前の調剤薬局でも採用されていないという【ない・ないずくし】の状況だったのです。

しかし、文句は言っていられません。可能性として残っているのは毎週一回だけ外来を持っている元の院長。
そのDr.だけが1症例使用していたのです。新人ですので勉強して覚えて来たことを、毎週一回だけ、その元も院長に話してくるのです。少しでもDr.の診療の役に立てばとの思いからでした。

しかし、それが功を奏して、そこから院内で知っている他のDr.を一人ずつ紹介してもらいことになり、二人が五人に、そして十人へと親派を増やし、院外調剤では採用が成功し、一年後には何と毎月の売上が100万円まで増やすことに繋がりました。

今、思い起こせば当時は一生懸命に製品や疾患の勉強をして、Dr.の話に少しでも付いていこうと毎日必死に仕事をしていました。そしてDr.の治療の話をよく聞いて勉強させて頂きました。
私の初任地は未開拓で大変でしたが、それが今となってはMRとしての礎を築かせてもらった場所だったと思っています。

作成 森 

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